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◆第7回イスタンブールビエンナーレ
7th International Istanbul Biennale |
タイトル:
Egofugal
Fugue from Ego for the Next Emergence
自我(エゴ)からの遁走 -
次なる創発(現れ)にむけて |
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会期:
2001年9月22日(土)〜11月17日(土)、57日間
会場:
イスタンブール市内の以下のサイト、
エレバタン・システン(地下宮殿)、アヤ・イレーニ教会
ダルフィネ国家造幣局跡、バラベイ宮殿
主催者:
イスタンブール文化芸術基金
アートディレクター:長谷川祐子氏
協力:
トルコ政府、イスタンブール市
協賛:
参加各国文化省、トルコ航空、ルノー、マルマラホテルチェー ン、
イセ食品、その他企業多数
参加作家:36名
企画趣旨:
第7回イスタンブールビエンナーレは、21世紀最初に、東西の中間地点、イスタンブールで行われるビエンナーレであるゆえに、双方の英知を融合した21世紀のヴィジョンを示すものとなる。
21世紀のヴィジョン、それは大きくみて、3つのMから3つのCへの移行で示される。20世紀を発展させ、動かす主たる動因となった、3つのM、それはMAN:男性(個人主義)、MONEY:金権主義、MATERIALISM:物質主義である。しかしこれらが大きな問題、20世紀の病を生み出したことも事実である。
そして21世紀は、これらの問題をかかえながら、いかに精神的に現実的に生き延びていくか、という新たな提案のもとに指向される。そこには3つのCが浮かび上がってくるだろう。それはCOLLECTIVE
CONSCIOUSNESS 集合意識、COLLECTIVE INTELLIGENCE 集合知性、CO-EXISTENCE 共生である。
この3つのMからCへの移行を試みるとき、我々は一つのキーワードにいきつく。それは近代的自我である。自我を重んじ、“個人の自由を追求した”20世紀は、一方でその我ゆえに、資本主義による過当な物質主義、金銭崇拝、競争、民族紛争、など様々な問題をかかえてしまった。
この問題をともに乗り超える態度として、21世紀は“いかに自我から自由になるか”が、一つの問いかけとなるだろう。仏教は無我ー自我を空しくするという思想によって、一つの答えを示していたが、近代的個人主義を経てきた我々にとって、自我は否定できない重要な個人の核である。自我を重んじながらいかに自我から自由になるかーこの矛盾を抱え込む言葉として“エゴフーガル(EGOFUGAL)”という新たな言葉は提案される。これは、エゴ-個我と、そこから遠ざかるという意味の、ラテン語のフーガル、を結合させたものである。また、Fugalは英語ではフーガのように、という意味で用いられており、フーガは、フレーズがすこしずつ変化しながら繰り返されていく音楽の形式であり、遁走曲とも呼ばれている。エゴという存在にかかわる重い意味を背負った、聞き慣れない奇妙な言葉、しかし音楽のフーガのようにしなやかに変わりながら逃れていくかろやかさとリズムをもった言葉として、これから生まれでる新たな生き物、生成される意味の源をつくりだすような意図で、この言葉は生み出された。
エゴフーガルは、自我を認めながら、しかもその個我から自由になる。そこからしなやかに逃れ、遠ざかり、距離をもつことで、結果、他者と意識のフィールドを共有することができる、という意味で、従来の無我とは意味を異にする。個を個として生かしながら、他者を認め、意識の磁場を共有するとき、我々は大海に浮かぶ列島のように互いを感じることができるだろう。それぞれは自立した島であるが、互いが関係をもって、“列島”という関係性のフィールドを共有しているのだ。
そしてエゴフーガル的な態度は、90年代以降つくられた多くの作品やアーティストの傾向に一致するものである。彼らは個人の世界の美学的表現にととまらず、個人のポリテクスがアートを通じて、いかに社会に影響を与えるか、人々の意識を巻き込んでいくかに強い関心をもっている。
第7回イスタンブール・ビエンナーレは西洋的個人主義、知的共有の方法論(知的なコラボレーション)と、東洋的集合意識、自然との共生意識の英知を融合させることによって、21世紀をしなやかに生き延びようとする様々のアプローチをみせるものとなる。エゴフーガルというテーマのもとに集められた作品、プロジェクトは、東西の文化の接合点にあって、カオテイックな歴史の交流によって肥よく化されてきた
このイスタンブールというトポスにおいて、より鮮やかに未来的に浮かび上がる、意味の地図を見せてくれることだろう。
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